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カメロンの戦い

1861年に始まった、ナポレオン3世による、フランス軍のメキシコ遠征により、現地に派兵されていた外人部隊の任務には、120Km に渡る輸送隊の警護と輸送経路の安全確保が含まれていた。

このときフランス軍はプエブラ(PUEBLA)を包囲していた。


カメロンの戦い 〜第1章〜

1863年4月29日
300万の現金と弾薬、資材を積んだ大輸送部隊がプエブラに向かい出発。


現地の第2外人連隊は、ジャニングロ大佐( Colonel Jeanningros )より輸送隊警護の司令をうける。
連隊司令部では、ダンジュー大尉と副官が輸送隊警護の為、第3中隊の派遣を決める。

しかし、この時、同中隊の仕官が不在であった。
そのためダンジュー自ら指揮に当たることにした。

マウデ少尉(sous-lieutenant Maudet)が旗手になり、ヴィラン少尉(sous-lieutenant Vilain)も同行することになった。
 

30日午前1時
3人の仕官と62名の外人部隊兵が出発。目的地までは約20Kmの行程であった。

7時になったときパロ・ベルデ(PALO VERDE)にたどり着いた部隊は大休止に入る。
が、そのとき、輸送隊の襲撃に向かうメキシコ部隊に遭遇、直ちに交戦状態に陥る。

不意を突かれた外人部隊に戦局は不利であった。
勝ち誇ったメキシコ軍の騎兵が突撃を仕掛けてくる中、ダンジューは、方陣を引きながら部隊を後退させる。

外人部隊の完全なる敗北である。


撤退を繰り返し、外人部隊は、高地の宿泊所のあるカメロン(CAMERONE)にたどり着く。
そこには広大な庭を取り囲む、3mの高さの壁を備えた宿舎が立っていた。

防御陣を構築するには絶好の場所である。
ダンジューは、輸送列車襲撃から敵を引き止めるため、そこに部隊を終結させた。

あわただしく防御陣を築くなか、メキシコ側の仕官が高慢に、捕虜になるよう外人部隊に呼びかける。

それに対し、ダンジューは
「我々には、まだ弾がある、捕虜になどならない!」

さらに彼は、死ぬまで戦うことを宣言する。

約60名の外人部隊兵の目前では、約2千人のメキシコ軍が攻撃態勢を整えていた・・・。

第2章へ 

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