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カメロンの戦い〜第3章〜

エピローグ

その日, ミラン大佐は ジョヤ(Joya) に留まり輸送隊の到着を待っていた。

ミランは、ベルグ伍長に 第3中隊の最後を記した手紙を、彼の上官(ジャニングロ大佐)に送ることを許可する。


その手紙の書き出しはこう始まる :

"1863年5月1日、敵の宿営地にて。

第3中隊は全滅です。

大佐殿、(省略)・・・彼らは勇敢な兵士だったからというだけではないのです・・・(省略)"


この手紙が届けられることは無かった。 しかし 数日後、メキシコのいくつかの新聞社がこの戦闘があったことを伝えた。
メキシコに到着したジャニングロ大佐は、インディオ達の通報により、今回の戦闘の詳細が"もみ消されていた"ことを知る。


掘られた穴には戦死者の死体が山積みにされていたが、カメロンの地では何も見つけることはできなかった・・。


この戦いで、仕官3名死亡, 49名の伍長とレジョネアが死亡, 12名が捕虜となった。


カメロン記念日

カメロン記念日は、ノエル(クリスマス)と並び、外人部隊では盛大な祭りのひとつとなっている。

それまで少人数の追悼式は行われていたようだが、1931年4月30日, 最初の公式な外人部隊全体での追悼祭(カメロン記念日)が行われたという。

カメロンの戦いの記念物は、メキシコだけでなく、フランス本国にも存在する。

オバーニュの廃兵院(l'I.I.L.E.)では、カメロンの戦いで戦死した兵士達の名簿がある。

ディジョン(Dijon)では、カメロンの戦いに参加した外人部隊兵、ビロド(Leg.Billod)の生家(現在はホテル)では、カメロンの標示板を見ることができる。


ダンジューの義手

danjou.jpg
ダンジュー大尉
ダンジューは、間接のある、木製の義手を持っていた。(彼の写真から、右腕が左に比べ長いので、これを使用していたと思われる。) これは戦場でメキシコ人が回収したが、1865年に発見され、アルジェリアのシディ・ベル・アベスに持ち込まれた。

カメロン記念日には、オバーニュの廃兵院の制服博物館内で、この義手が一般公開される。
(普段はオバーニュ駐屯地博物館内の礼拝堂に収められ、各セレモニーでは神聖なものとして扱われている。)

現在この義手は、カメロンだけでなく、歴代の戦死した外人部隊兵の慰霊のシンボルとされている。


お断り:現地での詳細、戦死者数など、資料により食い違いがあり、このページ内の戦死者数、戦闘後の状況など、不明なところが多々ありますがご了承ください。

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