フランス外人部隊の歴史や活動を紹介

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フランス外人部隊 歴史・戦歴〜19世紀第3編〜

1856年8月2日 部隊再編成
第1及び第2連隊は解体、別に2個連隊を創設
第1外人連隊(1er Regiment etranger)
第2外人連隊(2eme Regiment etranger)
第1外人連隊はフランス国内で創設(Sathonay)
大部分は、ナポレオン3世に志願したスイス人で編成される。

第2外人連隊はアルジェリアのシディ・ベル・アベスで、旧第1、第2連隊を再編成する形で創設。

第1外人連隊は 以前のスイス人連隊を彷彿させる、赤いケピ帽に緑の腰巻を着用。
このころより緑と赤という外人部隊のイメージ・カラーが定着する。

1859年4月 イタリア統一戦争
サルジニアは小国の連合体であったイタリア統一を目指し、フランスの援助を受けオーストリアと戦争を開始。
同盟国としてナポレオン3世は占領軍の派兵を決める。そして第1、第2外人連隊が派遣される。

6月4日 マジェンタの戦い
この戦闘でフランスの勝利が決まる。

6月24日ソルフェリーノの戦い
フランス・サルジニア連合軍に編入された第2連隊が、オーストリア軍と激戦を展開。
外人部隊は、一日に4万人の死傷者を出した、統一戦争中最も悲惨なこの戦いで、143名の兵士を失う。

1859年8月(7月?)14日 パリで外人部隊が初のパレード
"デ・ラ・レージョン"("De la Legion" 外人部隊曲の1つ)この曲は, 旧ホーヘンロ連隊から受け継がれた。ウイルエルム大佐(colonel WILHELM)により編曲される。

1863 〜 1867年 メキシコ出兵
1862年初頭 下級将校たちが、メキシコに外人部隊派兵を求める請願書をナポレオン3世に送る。請願書は届いたが、正規の手続きを踏んでいなかったため、数日間保留されてしまう。

メキシコメダル4月30日 カメロンの戦い
ダンジョー大尉が指揮する外人部隊一個中隊(3名の将校と62名の兵士)が、約2000人のメキシコ人を相手に外人部隊史上に残る激戦を展開。
後に外人部隊すべての連隊で4月30日をカメロン記念日として制定。

1863年 ナポレオン3世が金で彼の肖像を記したメキシコ・メダルを作る。
帯びには緑の蛇をくわえたメキシコの黒い鷹が画かれていた 。
このデッサンは後に第1外人連隊の連隊記章に採用される。

1870年7月 〜 1871年5月 普仏戦争
7月19日 プロイセン王国(後のドイツ帝国)に対しフランスは宣戦布告。
フランス軍の敗北が続き、開戦からわずかな期間でナポレオン3世がプロイセン軍に投降、捕虜となる。
戦死者 930名

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