フランス外人部隊の歴史や活動を紹介

部隊の伝統

ケピ・ブラン (Le kepi blanc)

フランス軍が採用している円筒形の帽子で、ケピ・ブランは”白い円筒帽”という意味。ケピ・ブランは外人部隊兵と同意語とされることもある。

モロッコに派遣されていたころ、ケピはもともとカーキー色であった。照りつける太陽光線による色の変化と、洗浄の繰り返しによりしだいに白っぽくなった。そして、汚れひとつない白い外見は、古参の外人部隊兵たちのプライドとなり、定着していった。

ケピ・ブランがはじめて正式に公に姿を現したのは、1939年の7月14日である。 部隊全体に着用されるのは第2次大戦後のこと。

外人部隊兵でも、下士官以上は、7つの炎の手榴弾が小さく前面にあしらわれたケピ・ノアール(黒い円筒帽)を着用する。


7つの炎の手榴弾 (La grenade a sept flammes)

これは、外人部隊のシンボルとして広く使われている。 各駐屯地内や、外人部隊の関連施設の建物や塀など、デコレーションとしていたるところで目にすることができる。 また、騎兵連隊の各中隊旗や、外人部隊の制服の肩章、ベレー帽の徽章のデザインにもされている。

1874年に外人部隊のシンボルとして採用され、次第に榴弾の部分がくりぬかれたデザインになるなどの変化を見せている。 ベレー帽の徽章にはこのくりぬかれた部分に各連隊を示す番号がいれられている。 肩章には階級を示すライン上に付いており、外人部隊独自のデザインである。


伝統肩章(Les epaulettes de tradition)

パレード用の制服に着用する、本体が緑で周りが赤の肩章。緑と赤という配色は、1868年、第2外人部隊(1835年のスイス人編成部隊)から受け継いだものである。
この配色は、各部隊旗にも採用されている。

伝統肩章は着用が一時中断され、再び着用されたのは1946年のことである。


青の胴巻き (La ceinture bleue)

本来は、海外赴任者の護衛が腹痛をいたわるために衣服の下に付けていたアクセサリー的な物(長さ 4,20 m, 幅 0,40 m)。それが徐々に、上着や外套の上に着用するようになる。

青い色は抑制されたイメージを外人部隊に与えることになった。


緑のネクタイ(La cravate verte)

1946年、正規の服装として採用。


ワイシャツの折り目(Les plis Legion)

通常、どこの国の軍隊でも規定の制服があり、公に自軍の存在を示す制服の着用は、新兵に厳格に教え込まれる。

外人部隊兵は、制服のワイシャツに規定された幅で、数本の折り目をつけなければならない。これにより上品さをえる効果もある。

新兵教育中の志願兵に、この折り目の付け方を”効果的”に教え込むのも、鬼教官たちの役目である。


グリーンベレー (Le beret vert)

最初は、インドシナ戦争時代に外人部隊空挺団(les legionnaires des bataillons etrangers de parachutistes)だけが着用していた。 そしてアルジェリア征服時代に、外人部隊全体での使用がはじまる。


工兵 (Les pionniers)

伝統的な服装にヒゲを蓄えた工兵は外人部隊独自のものである。 白い手袋に斧を持ち、皮のエプロンを着用し”道を開く”ことを使命とした工兵は、建造者としての外人部隊をイメージさせる。

各連隊に工兵が所属しており、建設作業などを担当している。
1843年以降、手袋は白になり、1844年、黒い皮の特別なリュックサックを備え、斧の代わりに横断幕のケースを持つ。同年、あごヒゲと口ヒゲを蓄えるのが工兵の義務となる。

工兵の徽章は榴弾上で2本の斧が交差したデザインを採用している。毎年。4月30日には、外人部隊本部所属の工兵がダンジョー大尉の義手を護送する。

通常、7月4日の軍事パレードでは、第1騎兵連隊と第2空挺連隊が行進する場合を除き、パレードの最初に行進する外人部隊のなかで常に工兵が先頭を歩くのがしきたりとなっている。

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